1999-06-02 第145回国会 衆議院 外務委員会 第8号
○阿部説明員 日本に対しましては、この点は、日米安保条約の信頼性を維持するということによって、米国の日本に対する防衛約束、それが、米国はあらゆる手段を使って日本を防衛するということを言っております。何を使うということは特定はしておりませんけれども、それによって日本に対する攻撃に対しても抑止力が維持される、このように解釈しております。
○阿部説明員 日本に対しましては、この点は、日米安保条約の信頼性を維持するということによって、米国の日本に対する防衛約束、それが、米国はあらゆる手段を使って日本を防衛するということを言っております。何を使うということは特定はしておりませんけれども、それによって日本に対する攻撃に対しても抑止力が維持される、このように解釈しております。
この条項には、アメリカがNATOと日本に同盟国として公正な防衛分担の負担を実現をさせるために、一つは同盟国が防衛約束を果たしているかどうか、果たさなかった場合、その共同防衛力の不平等是正のためにアメリカ政府が何をしたかを毎年報告をして、その是正策の中に防衛約束を果たさなかった同盟国の駐留アメリカ軍の再配置、つまり撤退を検討することを義務づけるというものだというふうに私は受けとめております。
アメリカとの間にへたな防衛約束などを、あるいは軍事増強の約束などを断じてすべきでないということを外務大臣に特に申し上げておきたいというふうに考えています。 そこで、原潜の問題に移りますが、原潜問題の時期的な決着を首脳会談前に、ということが事故直後に言われておったわけでありますが、どうもその後の状況を見ると、そうならない。むしろ調査報告などはおくれる。
そこで、わが国といたしましては、核の脅威に対しては米国の核抑止力に依存することとしており、一方米国は、日米安保条約に基づくわが国に対する防衛約束について、繰り返しこれを遵守する旨述べているところであります。防衛庁といたしましては、今後とも日米安全保障体制の信頼性の一層の向上に努めてまいりたいと考えているわけでございます。
○岡崎政府委員 岩国基地を含みます在日米軍の駐留は、米国のわが国に対する防衛約束の目に見える形をあらわすものでございまして、日米安保体制の核心をなすものでございます。
○久保田国務大臣 米国は、わが国に対する防衛約束を繰り返し明確に表明してきております。いわゆるスイング戦略によってわが国の防衛に支障が生じるとは考えておりません。
また、米国は、わが国に対する防衛約束を守るという決意は揺るぎないものであることを繰り返し明確に表明してまいっておりまして、近年、米国がアジア・太平洋地域において着々とってまいりました在韓米地上軍撤退の凍結、あるいは第七艦隊の質的強化等の諸処置に照らしましても、政府といたしましては、米国のいわゆるスイング戦略が御指摘のごとき日米安保体制の根幹に係る問題であるとは考えておらないわけでございます。
米台条約によるアメリカの台湾防衛約束と相まってこれらは中国の主権に対する侵害になる、内政干渉という問題だと言わざるを得ないと思うのです。中国敵視政策を持ったままで日中平和友好条約ということにするつもりなのかどうか、私はそこを疑問に思いますので、お聞きをいたします。一九六九年の共同声明の台湾条項は廃棄をするという態度を日本側は持っているのかどうか。
○羽生三七君 それでは私注文をつけますが、核防条約批准に関連をして、与党の中に、日米安保について一層固い防衛約束を取りつけようという動きがある、そういう動きに対する配慮だと思うんです、仮に外相がおやりになるとすれば。まだ意見が固まっておらないとおっしゃいますが、仮に、もし意見を固めるような場合があればそういうことに対する配慮だと思うんです。ところが、私はそれは全くの筋違いだと思うんですね。
最近、その点につきましては先方から回答がございまして、結局、アメリカの空軍が世界にまたがっていろいろな防衛約束その他をしておる、それを支援するために、また利用できる人間を最も経済的に使うというために、弾薬を扱う兵員は、通常兵器と核弾頭の両方についてその取り扱い方を訓練されているというふうな回答があった次第でございます。
この問題についてはアメリカ自身も、アジアに新しい防衛約束をすることは中国を刺激するということで、そういう配慮もあってこの条約草案とは別個の決議にしたと思うし、またアメリカ自身も、これは新たなる防衛約束を意味するものではないという声明もしておる。
常時駐留なき防衛約束ということも頭からこれを否定し去らずに、そういう形におけるやはり日本の暫定的安全を考えたらどうか、こういう意向を、有事駐留ということばにからんで、それを何かやっつけてしまうというようなそういう政策的論議をああいう段階でするということは、これは私は単に従来の見解を整理したというだけでは済まない。これは一例にすぎません。